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2011年1月 4日 (火)

神社の歴史を学ぶ

抜鉾神社と貫前神社

碓氷郡から甘楽郡・片岡郡の南部方面に勢力を持っていた部族は物部と同族の石上部である。この部族は、武器の製作をしていて、安中市鷺宮の咲前神社や、富岡市一の宮の抜鉾神社をまつった。また、甘楽郡方面に住んでいた帰化人は、富岡の小舟神社や一の宮の貫前神社(はたおりの神)をまつった。抜鉾神社は、もともと土地の自然神であった稲含山の山神・雷神をまつった稲含神社とつながりをもち、貫前神社の方は水源神であった荒船山の荒船神社とむすぶかたちでまつられ、自然神としてのその土地の神、職業神とがあわさったものである。このように、一の宮には、系統ことなる二つの神社があったが、平安末期ごろから混同され一つの神社になり、明治維新以前は抜鉾神社、以後は貫前神社とよばれるようになった。(『群馬の歴史』 著者所 群馬県歴史研究会 代表者 関茂)

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