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2018年1月30日 (火)

倉渕、観音山小栗邸跡からの眺め

20180130002 国道406号沿いの満寿池さんから歩いて登れます。

歩道入り口

20180130003 ハイヒールではちょいと無理かもね

2018年1月25日 (木)

烏の谷

20180125002 道には雪はございませんが、田は白銀の世界。(新屋敷から川下を望む)

2018年1月24日 (水)

何してる?

20180124004 写真撮影

20180124005 大きな建物が、原町赤十字病院。

2018年1月23日 (火)

今週の積読

20180123002 ①『スティーブ・ジョブス』

②『桐生地名考』

③『「筋肉」よりも「」骨』をつかえ!

④『おちゃめに100歳! 寂聴さん』瀬尾まなほ著

⑤『死に支度』瀬戸内寂聴著

⑥『いのち』瀬戸内寂聴著

⑦『女徳』瀬戸内寂聴著

今日はこれから送迎バスの運転手。

2018年1月22日 (月)

妙義神社の杉の切り株

20180122002 近年伐採された切り株

伐採を依頼された業者によると「86本の大規模伐採」

2018年1月21日 (日)

倉渕村誌を読む

20180121003_2江戸時代の酒蔵(倉渕町 下郷)

酒造は江戸時代においては幕府に運上金を収め特定のものだけに許されていたもので、本村(倉渕)では次の三店であった。

牧野酒造店 長井 元禄六年十月 創業

戸塚酒造店 下郷 弘化三年十月 創業

宮下酒造店 川浦 天保年間    創業

 この三店は明治になっても引き続き政府の許可を受けて業務を行っていた。ただし宮下氏は同家の事情により大正十一年頃閉鎖した。このほか明治十九年十一月に石津の柳沢酒造店が加わり、いづれも技術者を新潟、福井方面から招き、十月から翌年四月にかけて仕込みをし、醸成を待って村内、村外に売り捌くいていた。酒の製造販売は当時は有利な事業であったが、第二次世界大戦が激しくなって物資不足を迎えると政府は酒業も統制し企業合同を命じたため戸塚、柳沢の二店は高崎の酒井酒造に合同し製造を停止した。ひとり牧野だけは製造を続け現在に至っている。これら酒造の製造量は時代により変化はあったが、昭和十年ごろは柳沢が二百石、牧野が四百石、戸塚はそりより少し多かったという。(倉渕村誌)

今日の伐採現場

http://blog.goo.ne.jp/sign104/e/618ab2ec62b6b9efc3ba82b7047d02df

2018年1月19日 (金)

拝啓、轟木材様

20180119006_2 狙ったところへ伐倒。

20180119007 けっこう太いのよ!!

こちらは上部担当

http://blog.goo.ne.jp/sign104/e/2f0f0811ef309570394fdd6a76f31011

2018年1月17日 (水)

はちみつうどん山一屋

床屋さんのご主人から行ってみてとのことで

20180117002 もりと野菜天ぷらを。

大盛は危険とのこと

http://www.town.yoshioka.gunma.jp/kankou/eat/001459.html

2018年1月16日 (火)

『万延元年 遣米使節史料集成 』全7巻揃

20180116001日米修好通商百年記念行事運営会/編  風間書房


第1巻:亜行日記,無題手控,亜米利加航海出入簿(森田清行記) 附録(森田清行編)
第2巻:米行日誌(日高為善記) 亜行航海日記(益頭尚俊記) 亜行日記(名村元度記) 
     奉使日録(村山伯元記) 亜行詠(新見正興記)
第3巻:二夜語(加藤素毛述 水野正信記) 航海日録(野々村忠実記) 
     花旗航海日録(福島義言記)
第4巻:奉使米利堅紀行(木村喜毅記) 亜墨利加行航海日記(赤松大三郎記)
     亜行日記鴻目魁耳(長尾幸作記) 亜行記録(長尾浩策記)
     安政七年日記(石川政太郎記)
     亜墨利加帰帆日記. 異国の言の葉(嘉八記) 亜行新書(斎藤留蔵記)
第5巻:横浜日記,咸臨丸日記,附録(ジョン・マーサー・ブルック記 清岡暎一訳)
第6巻:万延元年遣米使節関係外国新聞記事
第7巻:万延元年遣米使節年表

2018年1月15日 (月)

チェンソーのキリコ

20150115002 風の向きがわかります。

20180115004 他の画像はこちら

http://blog.goo.ne.jp/sign104/e/e65d48b80250951d277f4fb183b9a8ca