倉渕村誌を読む
酒造は江戸時代においては幕府に運上金を収め特定のものだけに許されていたもので、本村(倉渕)では次の三店であった。
牧野酒造店 長井 元禄六年十月 創業
戸塚酒造店 下郷 弘化三年十月 創業
宮下酒造店 川浦 天保年間 創業
この三店は明治になっても引き続き政府の許可を受けて業務を行っていた。ただし宮下氏は同家の事情により大正十一年頃閉鎖した。このほか明治十九年十一月に石津の柳沢酒造店が加わり、いづれも技術者を新潟、福井方面から招き、十月から翌年四月にかけて仕込みをし、醸成を待って村内、村外に売り捌くいていた。酒の製造販売は当時は有利な事業であったが、第二次世界大戦が激しくなって物資不足を迎えると政府は酒業も統制し企業合同を命じたため戸塚、柳沢の二店は高崎の酒井酒造に合同し製造を停止した。ひとり牧野だけは製造を続け現在に至っている。これら酒造の製造量は時代により変化はあったが、昭和十年ごろは柳沢が二百石、牧野が四百石、戸塚はそりより少し多かったという。(倉渕村誌)
今日の伐採現場
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