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2012年3月27日 (火)

今日は不動様

 不動様の姿は岩の上にしっかりと立ち、左手に索(つな)を、右手に剣を持ち恐ろしい形相をして睨んでる。インド教の神の一名を密教にとり入れ仏教化したもといわれ、密教では不動は大日如来の使者で、仏が一切の悪魔を調伏するため身を忿怒身に変じ、左手の索は悪魔を引き寄せ、右手の剣は迷いと恐れを断ち切る力を示すと説く。

 不動信仰がいつごろこの村に入ってきたか明らかでないが、隣村室田の滝不動は、古文書の示すところによれば中世のころ創始された模様である。本村地方にもこのことから不動信仰が伝わって来て、各所に不動様が祭られたものと考えられる。そしてそれを伝えたものは密教を奉ずる山伏・修験者であったであろう。川浦地区では不動様の祭神は日本武尊だといっている。現在村内の相吉・水沼中郷・中尾・鍛冶屋・山田・長井・桑本・坊峯には不動堂があり、また細入・関沢・上下道・梨本・赤竹・矢陸・月並などには石像や石宮があって不動様をまつっている。(倉渕村誌)

2012年3月25日 (日)

高崎駅東口ロータリー

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ここは駐車場ではありません!? 鍵をかけて離れる人もいます!?

2012年3月22日 (木)

小栗上野介顕彰会

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20日に小栗又一忠道と家臣の供養塔へお参り。

2012年3月19日 (月)

石並べ

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ピンコロ約200個。

2012年3月18日 (日)

二度上峠から鼻曲山、そして霧積温泉へ

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二度上峠(9:15)-鼻曲山(13:00~13:30)ー霧積温泉(17:00)

スノーシュにて7名(50代~70代)

踏み跡は氷妻手前のピークまで、霧積からは熊野神社分岐の吹き溜まりまで。

http://www6.wind.ne.jp/hamayu/2012/0317/20120317.html

踏み跡は遭難者?(3/19上毛新聞)

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2012年3月15日 (木)

水沼神社

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 奈良県山辺郡の石上神宮(いそのかみ)の分霊を勧請した神社に石上(いしがみ)神社と水沼神社がある。石上 (いそのかみ)信仰の祭神は経律主神(ふつぬしのかみ)で、経津主神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)と共に国譲りの神話にあらわれ、武神として崇敬されている神である。石上神はまた布瑠神(ふるのかみ)とも呼ばれ御神体は剣である。物部大社(もののべおからし)家が祀ったといわれ、上野国の物部連は、上古、上毛野国を治めた上毛野国に従い大和地方から移住してきたが、のち石上朝臣となり石上部の君を名乗り、更にその後上毛野坂本君の姓を賜わった。物部の分布範囲は高崎の八幡・剣崎方面に多く、戦国時代に箕輪に築城した長野氏も石上神を崇敬し、その城の鬼門に石上寺を建立し、鎮守に布瑠明神を祀ったという(この頃、尾崎喜左雄氏の貫前抜鋒両神社の研究による)。なお尾崎博土は本村の神社のうち水沼神社は旧名古布仕で「ふるの」とよんだが右岸社の転訛であろうといい、また石上神社は、足利持氏の榛名山寄進伏の中に「石神」と書いてあるので、石神様との混同とも考えられるが、水沼の古布社と合せて石上神(いそのかみ)布瑠神を祀ったものと推定されるといってしる。おそらく物部氏系の部族たちが島川上流に武器の原料である砂鉄をさがし求めてこの地域に移住し石上神を伝播分請したものと推測される。
(倉渕村村誌)

http://www4.ocn.ne.jp/~kurasho/zinnzya-kurabuti.html

古布神社(水沼神社)の銀杏の大木、枝切断

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森林組合で切断。風がないので良かったすね。

2012年3月11日 (日)

梅の香り

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数日前より国道406号線でも紅梅が咲き始めている。

安中榛名駅周辺も紅梅が咲き始め、窓を開けると匂いが漂う。

2012年3月 9日 (金)

ただ

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全部モッテッテイイヨっていわれても~ 

2012年3月 8日 (木)

蓮華院を望む

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