水沼神社
奈良県山辺郡の石上神宮(いそのかみ)の分霊を勧請した神社に石上(いしがみ)神社と水沼神社がある。石上 (いそのかみ)信仰の祭神は経律主神(ふつぬしのかみ)で、経津主神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)と共に国譲りの神話にあらわれ、武神として崇敬されている神である。石上神はまた布瑠神(ふるのかみ)とも呼ばれ御神体は剣である。物部大社(もののべおからし)家が祀ったといわれ、上野国の物部連は、上古、上毛野国を治めた上毛野国に従い大和地方から移住してきたが、のち石上朝臣となり石上部の君を名乗り、更にその後上毛野坂本君の姓を賜わった。物部の分布範囲は高崎の八幡・剣崎方面に多く、戦国時代に箕輪に築城した長野氏も石上神を崇敬し、その城の鬼門に石上寺を建立し、鎮守に布瑠明神を祀ったという(この頃、尾崎喜左雄氏の貫前抜鋒両神社の研究による)。なお尾崎博土は本村の神社のうち水沼神社は旧名古布仕で「ふるの」とよんだが右岸社の転訛であろうといい、また石上神社は、足利持氏の榛名山寄進伏の中に「石神」と書いてあるので、石神様との混同とも考えられるが、水沼の古布社と合せて石上神(いそのかみ)布瑠神を祀ったものと推定されるといってしる。おそらく物部氏系の部族たちが島川上流に武器の原料である砂鉄をさがし求めてこの地域に移住し石上神を伝播分請したものと推測される。
(倉渕村村誌)
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