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2012年6月 5日 (火)

『この国のかたち』司馬遼太郎 を読む

21 日本と仏教

 本来の仏教というのは、じつにすっきりしている。

 人が死ねば空(くう)に帰する。教祖である釈迦には墓がない。むろんその十大弟子にも墓がなく、おしなべて墓という思想すらなく、墓そのものが非仏教的なのである。

 仏教においては世間でいう“霊魂”とうい思想もなく、その“霊魂”をまつる廟(びょう)ももたず(釈迦廟などない)、まして“霊魂”の祟りをおそれたり、“霊魂”の力を利用(?)したりする思想もない。

 「幽霊というものも、本来の仏教の教義として存在しない」

 といいたいところだが、ざんねんながら仏教には一大体系としての教義がないのである。

 キリスト教やイスラム教のように、預言者がコトバをもって説いた宗教(啓示宗教)なら教義が存在する。

 ところで、本来の仏教には神仏による救済の思想さない。解脱こそ究極の思想なのである。

 解脱とは煩悩の束縛からときはなたれ自主的自由をえることである。(そういうことが凡人に可能かとなると、話しはべつになる。解脱など百万人に一人の天才の道ではあるまいか)。

 ともかくも、本来の仏教はあくまで解脱の“方法”を示したものであって“方法”である以上、戒律とか行とか法はあっても、教義は存在せず、もし存在すれば解脱の宗教とはいいがたい(教義を読んで解脱できれば、こんなラクなことはない)。

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  1990年3月25日 第1刷

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