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倉渕地区は江戸時代にも八回の水害の記録あり。
1742年の寛保の水害はまれにみる大水害であった。
→八月一日の夜、上石津で堤防を破った水は、石津で一軒、水沼で四軒、三ノ倉の裏町で二軒、綱取で4軒、島屋敷(島村)で十一軒58人を一挙に押し流した。
明治になってからは1910年の水害。(三の倉では6日間の雨量570mm)
昭和では1935年の水害。(三ノ倉では一日の雨量が309mm)
『倉渕のあゆみ』から
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